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涙   

泣いて、水浴びして、アイスクリーム食べて、寝よう。

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泣く。涙が流れるだけで、気持ちが軽くなる、何かが開放された感になる。

悲しいから、とか、具体的な理由などなくても、泣きたくなるときがある。

なんか、美しい景色を眺めながら、太陽の光を浴びながら、綺麗な歌声をイヤフォンで聞きながら、涙が出てくる。涙を流す。ひんやりしっとりと泣く。

感受性が強いのは、弱い証拠。

sensitiveなんて、褒め言葉じゃない。

感受性は、方向、アングル、ベクトル、対象、居場所、自分の求め、などなどに、気をつけておかないと!!

感受性が強いほど、気をつけないと!!!

自分の希望に合うセンサーに、感受性したら、、、それは、金鉱を発見するのと同じ力。

砂漠で水脈を発見したり、

日照り続きに雨を降らせられる力と同じ。

意味もなく泣けるのは、理由より先に、感性が何かを感じ取ってるから。

理由の意識できない現象は、すべて、、宝への道しるべ。

自分は自分の宝を見つける。

励ましはある方がいい。

人や人間友達じゃなくてもいい。風、空気、葉っぱ、木々、花々、動物、植物、感性が響き合いを起こす存在はすべて、励ましになる。仲間である。

励ましは必要である。励まし、、希望と同じ力を持つからだ。

希望はおいそれとは見つからない、なぜなら意識しづらいから。

希望の本質は、見かけや、表層意識では捉えられないようになっている、だから人間社会は勘違いばかりする。

集団行為から離れるとき、

単独になればなるほど、孤独になればなるほど、核心に近づきやすい、コアと繋がりやすい、コアと繋がると、、どこかの全てとつながっているのと同じ。

ひとりぼっちの時こそ、みんなと一緒にいるのを感じる感覚だ。

大勢といても独りぼっちを感じるのは、、見かけはともかく、自分が自分自身の離れ脇小道を歩いているからだ。

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明確な理由もなく、泣く時、あなたは、恩寵に恵まれる。

新しい希望が、あなたの中、体の中のどこかから芽吹き始める手前ということだ。

日の出の直前、夜明け前が、最も暗く、最も寒い。

「そういうことだ。

そういうことだ。」

と、森の精霊は大木の狭間で呟いていたのだよ。

太陽のあったかい陽光を浴びながら、ふと、ふるふると、泣いてるあなたは、恵まれている。

あなたの泉は枯れない。

あなたの水脈は途切れない。

あなたの希望は、あなたの中で、あなたを待っている。

「待ちくたびれた!」とあなたの中の希望は少し嘆き始めたので、涙をながして、泣かせて、あなたに、お知らせしているのかもしれない。。

次の展開で、よくよく見えるように、あなたの目を洗って綺麗にしてくれているだけかもしれない。

あなたによくよく、見て欲しいから、あなたによくよく聴いて欲しいから。。etc..

希望は、様々な働きと顕れ(あらわれ)をするので、本当のところは自分がその希望を発見するまでは、あずかりしれない。

希望は、いついつまでも漂流の民ごっこはしたくないのだ、本当は!

あなたと共にいながら、あなたと共同創造をしたい。

あるいは??

それは、あなたがあなたの希望に聞くことだ。

泣いて、涙を流して、泣いて、眠ればいい。

太陽の光を浴びながら、涙をながして、風の音を聞きながら、眠ればいい。

あなたの中の野生と希望と本能は、あなたから片時も離れたことはない。今までもこれからも、必ずあなたの横を、前を後ろを、上を下を、移動してるか静止しながら、共に居続けるのだ。

「そうなのだ、

そうなのだ」

と、風が頷きながら、吹き去っていった。

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